水色書架

自作の一般向け現代小説を書いています。長編短編をご用意しております。
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もの憂げな三日月 (85)

半時間ほど過ぎてから、アンズを抱きかかえてユキエが戻ってきた。アンズは服に土をいっぱいつけ、手の甲には擦り傷ができていた。遊具で遊んでいるうちに滑り落ちかけたのだと、ユキエはマザーバッグから消毒用のスプレーと絆創膏を取り出しながら言った。アンズは泣きもせず、まだ遊び足りない様子で、遊具のほうを振り返っていた。

「マザーバッグから何でも出てくるのね。
 魔法のポケットみたい。」

興味深そうにトウコが言い、アンズを引き寄せて土を払い、柔らかい癖のある髪を撫でてやっていた。その隙に、ユキエが手早くアンズの手に消毒液をかけて絆創膏を貼っている。

「怪我をさせたら、お義母さんに何て言われるやら。」

ユキエはぶつぶつと誰に言うともなく呟いたが、マナミにはその気持ちが嫌というほどわかる。

「私もあの家では風邪一つひけなかったからわかるわ。
 霊のせいにでもしてるんでしょ?」

「そうなんです!
 アンズが転んで泣いたら、
 悪霊がそうさせたとか仰って・・・。
 もう訳がわかんない!」

興奮してユキエの語気が荒くなった。なるほどとトウコは秘かに思った。タカノ家の事情を知っているマナミだから、ユキエの何気ない呟きの背景にある面倒な事情がわかるのだ。

「さぁ、アンズちゃん、お手手を拭いてね。
 お弁当にしましょうね。」

と言って、マナミがお手拭で幼子の手の平を拭いてやった。

「でも、ユキエさん、結局あのお導きノ会には通っているんでしょう?」

「ええ、だけど、あそこを信じてるんじゃなくて、
 若い弟子の巫女さんを信じる気になったんです。」

アンズが食べるものを紙の取り皿に取り分けてやりながら、マナミの質問にユキエが答えた。

「あの若い巫女さんのほうが霊感が優れてるみたいで。
 それに、教祖や師匠の巫女様は格式ぶってますけど、
 お弟子さんのほうは、すごく話しやすくて。

 実は、巫女さんをめぐって、派閥があるって話ですよ。
 ひょっとすると分派するかもって噂もあります。
 そうなったら私、若い巫女さんのほうについていくかも。」

ユキエはマナミほどには神がかり的なことに拒否感も違和感も持たないらしい。トウコが面白そうに口をはさんだ。

「ふうん。ユキエさんは霊感を信じるタイプなの。
 そういえば、血液型占いも信じてるんだったわね。」
 
馬鹿にされているようで気分を害したのか、ユキエはムキになって、

「もう血液型占いは信じてません!」

と言い返した。その後で、ちょっと気まずく思ったのか声を落として、

「タカノ家の人たちがみんなO型だから、似たような性格なんだと
 思ってたんですけど、違うみたいです。
 弟子の巫女さんもO型だと聞いて、
 同じO型でも全然違う。気遣いもしてくれますし。」

と、言い訳した。マナミとトウコは顔を見合わせてから、トウコが、

「それのどこが血液型占いを信じてないって言うのよ。
 しっかり参考にしているじゃないの。」

と、からかって大笑いした。ユキエもちょっと考えてから、言われてみればそうだと舌を出しておどけた。

ユキエのいいところは、ムキになることはあっても、それで完全に相手を嫌うとか恨んだりしないところだ。マナミたちが彼女を憎み切れないのはこういうさっぱりした性格のせいだろうと思った。思い込みが激しく、すぐ行動しなければ気が済まないが、間違いとわかれば素直に認める点では、可愛げがあると言える。

離婚劇の辛い過去をもう忘れかけ、サトシのほうへとベクトルが向いているマナミは、ユキエを好ましく思い始めていた。

「お義母さんにも言いたいことを言うようになって、
 どう? 少しはタカノ家で変わった?」

お茶をいれた紙コップをユキエに手渡してやりながら、マナミが尋ねた。

「もう毎日、言い合いになってます。
 お義母さんもかなりの負けず嫌いですよね。
 理屈が通らなくなると、すぐ感情的になって食って掛かられるんです。

 でも、私の言い分を曝け出すようになってから、
 言い返されるのが嫌になってきたのか、
 ちょっとは遠慮してるみたいです。」

母屋から離れへのインターホンを繋がらなくしたため、ベルが鳴るたびに怯えることはなくなったが、ユキエが母屋に掃除に出向くと、ここぞとばかりについでの用をたくさん言いつけられるようになったとか、姑以上に義姉の無神経さにも呆れていると、ユキエは憤懣やるかたなしでぶちまけた。

「お義母さんの留守中、
 母屋にかかってきたお義姉さんの電話を誰も取らなかったら、
 お義姉さんが私を責めるんですよ。
 私は電話番じゃありませんって言い返しておいたけど、
 それをまたお義母さんに告げ口するんですよね。」

どれもこれもマナミには身に染みてよくわかる話で、頻繁に相槌を入れ、マナミ自身の体験話も聞かせてやった。ユキエにとってみれば、タカノ家の内情を知っているマナミほど強力な味方もいないだろう。アンズが口をもぐもぐさせているのを見守りながら、

 まさしく、グライフのおかみさんだわ。

と、トウコは可笑しそうに眺めていたが、一言、横から口をはさんだ。

「テツジさんもあなたの味方になってくれてる?
 二人で話し合ってるの?」

一瞬、ユキエは凍った顔つきになった。

「仕事が忙しくて、帰りは夜遅い日が増えてますけど、
 でも、でも、
 私の話も愚痴も、聞いてくれてます。」

どこか必死に訴えているようなユキエに、ほんとに嘘のつけない女だとトウコは胸の内で思った。マナミから聞いてきた話から、テツジという男は優しくはあるが、子どもじみたところもあるというのがトウコの分析だった。深く物事を考える男ではない。嫁と姑が諍い合っているのを根気よく間に入るより、逃げたがるタイプだ。

「ならいいけど。
 気をつけた方がいいわよ。
 浮気にはね。」

と、トウコはユキエに釘を刺した。浮気によって結婚した女が、今度は反対に浮気されることを心配する側になったのだと知らしめているようなものだ。マナミにとっても親友の一言は穏やかではなかった。

「一度浮気した経験がある男は注意しておいた方がいいのよ。
 懲りたつもりでも、ほとぼりが冷めた頃に、
 つい気を許して、深みにはまるってことがあるんだから。

 いろんな男たちを見てきた私が言うのよ。
 あなたの幸せのためにも忠告しておくわね。」

トウコはきっぱりとユキエに言い放った。トウコにはまだ、親友の夫を寝取ったユキエに対して敵意があるのかとマナミはハラハラしながら二人を見ていたが、ユキエは思いのほか素直に受け止め、真顔で頷いた。

マナミがテツジに再会したのは彼が尾行してきたあの夜だけだ。強く突っぱねたが、彼はあれで諦めただろうか。疑わしいものの、マナミ自身はもうテツジとは区切りをつけているのだ。だが、マナミという妻がいながらユキエに浮気したことを考えると、今度はユキエ以外の他の女と、家庭での所在の無さを埋める可能性がないとはいえない。トウコの忠告はもっともなのだ。

ユキエは別のことを考えていた。浮気そのものも気になるが、テツジの給与が振り込まれる銀行口座の通帳は、姑のシズカが握っている。マナミのときと同じように、シズカから生活費やユキエの小遣いまでもが分配される。テツジの給与の額を正確に把握していないユキエは、夫に問い詰めたことがあった。その額から推測すれば、分配される金額は公平とは思えなかった。

つまり、子育てにかかる費用を含めても、手渡される金額は少なすぎるのだ。テツジには、会社の付き合いなどがあるからと増額されているらしいが、ユキエにとっては姑が采配を揮う喜びを味わっているだけで、どんぶり勘定なのではないかと面白くなかった。アンズのために貯金をしてやりたいと夫に訴えても、テツジからは芳しい返事は返ってこない。会社ではあれほど頼りになった上司だったが、家庭の夫としてはあまりに頼りないと幻滅を感じていた。

それに、信仰している天声お導きノ会への寄進の額も気になっていた。会へ足を運ぶ回数だけを考えてみても、そうとうな額がそちらに流れているはずだと思う。しかし、姑やテツジにとっては、信仰している神様に守られるのだから、金額の問題ではないという感覚なのだ。子どもを抱えているユキエにとっては由々しきことだった。

そんな話を何度かテツジと繰り返しているうちに、彼は、金の話ばかりするなとしまいには叱りつけて、黙ってしまったことがつい最近あったばかりだった。そして、ますます母親にべったりと母屋で過ごすか、帰宅がめっきりと遅くなったのだ。妻と面と向かうのを避けているに違いないとユキエは悲しい思いだった。

唯一慰められるのがアンズで、パパと呼んでは手を差し出す姿に、テツジも自然と頬を緩めて抱き上げ、それなりにユキエとも話す機会は生まれるのだ。

「子はかすがい」とトウコが言ったことも的確な表現だったが、さっき言われた浮気の見解についても、下手な占いより、ずっと的を得ていると感じられた。ユキエと浮気していたときと同様、テツジは自分の都合のいいように語り、さも家庭に居場所がない哀れな亭主を演じて、同情を誘うような真似を自然とやってしまうだろう。油断できないとユキエは、トウコの忠告を真に受けたのだった。

「私、働こうかな。」

マナミとトウコの前で、ぽつりとユキエが言った。

「アンズちゃんがまだ小さいでしょう?
 どうするの?」

マナミが心配そうに尋ねると、

「今すぐじゃないですけど、
 保育所に預けて・・・。」

と、ユキエが自信なさげに答えた。

「待機児童が多いことだし、
 働いてなけりゃまず預かってくれないかもしれないけど、
 でも、それもいいかもしれない。」

と、少し考えた後で、マナミが賛成した。

「あの家にじっといると気詰りになるのよね。
 私はあそこでクッキング教室を開いてから、
 ずいぶん気が楽になったものよ。
 少しはお小遣いもできるしね。」

そう言われて、ユキエの表情が明るくなった。

「トーおばちゃん、あーん。」

不意に立ち上がったアンズがデザートのマスカットを一粒、トウコの口に入れようとしていた。言われるがまま口に入れさせてやると、乳歯を見せてアンズが嬉しそうにしている。保育所より自分が預かってあげると言いそうになるのをどうにか抑えたほど、アンズが可愛くてならないトウコだった。


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※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2012/07/04 07:40 ] 『もの憂げな三日月』 | TB(-) | CM(-)