水色書架

自作の一般向け現代小説を書いています。長編短編をご用意しております。
はじめに
次の小説を構想中です。しばしお待ちを…。

TOPページではブログ仕様で、新着記事順ですが、
【作品リスト】から小説タイトルをお選び頂くと、順を追ってお読み頂けます。
1章ごと《続きを読む》から本文全文をお読み下さい。
【作品のご案内】 ← 作品のあらすじ等は、こちらをご参照下さい。
尚、当ブログ作品の無断使用・転載は禁止しております。

もの憂げな三日月 (83)

サトシが旅立つ朝、マナミは軽自動車を運転して、待ち合わせの場所に向かっていた。曇りがちだが天気は悪くない。今から10分もあれば彼を迎えにいけるだろう。

サトシへの返事は実のところ、まだ決まっているとは言えなかったが、伝えるべきことはあった。尋ねたいこともあった。何より、あの夜が彼に会う最後と思っていたのが、もう一度会えるというだけで、気持ちが浮き立つ。

サトシがタカノ家の前で見送りをしていたマナミに一目惚れしたのと同じように、マナミも考えてみれば、サトシに好感を持ったのは、アヤから兄の話を聞かされていたときだった。まだ会ったこともなかったのにである。彼が失意の妹を立ち直らせるのに励ましていた様子を聞いていて、口の悪さも荒っぽさも補って余りある人間味に溢れた男だと感動したのだ。

実際に彼に会ってみると、決して社交的なタイプではないし、自分のまわりに壁を隔てているかのように容易には他人に踏み込ませない雰囲気もあった。人懐こい妹のアヤとは違うと思ったものだった。だが、それも人嫌いなのではなく、照れ屋なのだとわかってきた。

そんな彼もトウコとは意味ありげな会話ができるのだと知ったとき、妬ましく思ったのも嘘ではない。トウコはサトシのことを好きなのかと勘繰ったりもした。今やその勘繰りがはずれていたとわかったが。

辛辣なことを言ったりからかったり、時に本音を漏らしたりするサトシが、いつしかマナミには、誰よりも気にかかる特別な存在となっていた。はっきりと認めたのは、今回の海外赴任の話を聞かされたときだ。Da Mayamaに行けばサトシに会える、それだけで満足していたのに、会えなくなると思った瞬間、胸の中に風穴が開いたようなたまらない寂しさが襲った。それでようやく彼に恋していると認識したのだ。

そして、サトシもマナミを愛するようになっていたと打ち明けられたとき、慕わしい思いのままに、彼を受け入れたいと望む気持ちも強かった。

マナミが運転する車が待ち合わせ場所に近づいている。遠目で、スーツケースを地面に置いて傍らに立っている人物を見つけた。ゆっくりと近づいて停め、車から降りると、ぎこちなく挨拶をした。意識せずにいられなかったせいだ。が、サトシは普段と変わりない様子だった。

マナミはサトシと目を合わせるのを避けて、いそいそと車のトランクに荷物を詰め、助手席に彼を乗せようと扉を開けると、彼は背広を脱いで、運転席のほうに回った。

「僕が運転しますよ。
 あなたが助手席に乗ってください。」

戸惑うマナミだったが、おとなしくそのまま助手席に座った。サトシが運転席に乗り込み、ドアを閉めるや車を発進させた。

しばらくは二人とも無言だった。窓の外の風景が素早く後方へと流れていく。乗り心地は悪くない。

「イケザキさんって、けっこう安全運転なんですね。」

「伯父の運転手も兼ねてましたから。
 高齢者を乗せて暴走するわけにはいかないでしょう?」

「伯父様とは今朝、お別れの言葉を交わされたんですか?」

「昨夜、あなたから電話をもらったときがちょうどその最中でした。
 あの人は甥がどこへ行こうが、感傷的になったりしないんですよ。」

こともなげにサトシが言った。車はいつしか高速道路に入った。壁に遮蔽されて風景は見えない。粉塵を撒き散らす大型トラックが迫ってくるばかりだ。

「さぁ、焦らさないでくださいよ。
 はっきり仰ってください。」

サトシはさすがに返事を待つのも限界になっていた。乞われてマナミも昨日一日考えていたことを訊いた。その一つ一つの質問にサトシは答えていった。

「年齢の差なんか気にしないと言ったじゃありませんか。

 結婚しても、遠距離でも僕は構わないし、
 一緒についてきてもらってもいいです。

 子どもですか?
 僕はいてもいなくてもどっちでもいいです。

 あなたが望むなら、体外受精でも、不妊治療でも、
 とことんやりましょう。

 何を怒ってらっしゃるんです?」

トレーラーの間にはさまれて、運転しているサトシは車線変更したくてイライラしているらしいが、あまりに単純で素っ気ない答えにとても真剣みを感じず、助手席でマナミは憤慨していたのだ。

「ほんとうにイケザキさんは、
 結婚したいと思ってらっしゃるの!?
 なんだかお店の商品を手に取るくらい、
 簡単に考えてるみたいだわ。」

「そんなことありませんよ。
 悩んだ挙句、あの夜、勇気を振り絞ったんですから。
 ああ、くそっ、隣の車に追い抜かれたじゃないですか。」

「まぁ! 私のせいなんですか。」

小さな車の中でギスギスした雰囲気になっていた。これではまともに話などできない。運転しながら話をするなどという提案は裏目に出てしまったとマナミは後悔した。しかし、運転のせいで彼が話に集中できないとは思えない。求婚の返事を聞くのが怖いのだろうかと疑問に思った。

マナミたちの乗った車は、はさまれていたトレーラーからやっと抜け出して、もう一方の車線に移った。サトシはやれやれとこぼして、

「あんなガタイのでかいトレーラーにはさまれてちゃ、
 危なっかしくてしょうがない。」

と、マナミに同意を求めた。だが、彼女はむっつりと黙っていた。さすがにサトシも本気で彼女が怒っているとわかり、一呼吸おいてから、

「僕はあなたと一緒に生きてゆきたい、
 一生を通じて。
 それがすべてです。

 年齢差も距離も、子どもも、
 本当に気にしてないんです。
 そんな答えじゃ、納得できませんか。」

と、話しかけた。

「私は何をすればいいんですか。
 私の役目は?」

マナミが問いかけた。

「精神的な支えになってもらえれば、
 僕はそれで十分ですが。」

「わからないわ。
 一緒に生きてゆきたいと仰ったけど、
 私はどうやって連れ添っていけばいいのか。」

「あなたはあなたのままでいいんです。」

マナミは大きなため息をついた。こんな抽象論ではどうしようもない。無駄に時間が過ぎていくばかりだ。

「私は仕事を辞めたくないんです。」

「続けてもらってかまわない。
 あなたらしくいてほしいと
 僕は思ってます。」

「じゃあ、離れ離れで暮らすということね。
 それで私はあなたを支えられるのかしら。」

「もちろん。」

前方を見たままサトシが即答した。

「でも、もし海外赴任に私もついていくと言ったら?」

「一緒に暮らせる家を探しますよ。
 あなたに不自由はかけません。」

どの答えもマナミには腑に落ちるものではなかった。告白されたあの夜と、薄曇りから射す朝の日光の中ではこんなにも感じ方は違うものなのかと、脱力する思いだった。

黙り込んでしまったマナミに気づいて、サトシは、

「返事を頂けませんか。」

と促した。彼女はそっぽを向くように左側の窓の外を覗いている。延々と高速道路の防音壁が見えるばかりだ。

「イケザキさん。」

横を向いたままマナミが口を開いた。

「私、あなたとは結婚できません。」

サトシはちらりと横目でマナミに視線を送った後、前方を見据え、

「覚悟はできてましたよ。
 でも、もっと早く仰ってくだされば、
 妙な期待を持たずにすんだのに。」

と、ぶっきらぼうに言った。

「頼りないですか、僕みたいな若造では?」

「いいえ。そうではないんです。
 今はあなたと結婚できません。

 なぜなら、あなたは・・・。」

マナミはゆっくりとサトシのほうに振り返って、改めて言い直した。

「なぜなら、・・・あなたも、私も、
 今が結婚発情期じゃないかと思って。」

思いがけない言葉に彼はアクセルを踏み過ぎ、前方との車間距離が一気に縮まって、急いで元のスピードに戻した。

「いや、僕はほんとうにあなたのことが・・・」

「私、ずっと考えていたんです。
 シノダさん・・・、風水に凝っていて先日別れた方のことですけど、
 あのときも、そして、今も、
 結婚発情期なんじゃないかって。

 嫌いな人とだったら、結婚を考えたりしないわ。
 好きには違いないんですけど、
 私自身が結婚を意識しすぎて、
 急いでいるような気がするんです。
 ですから、もう少し冷静に考えたいと思います。

 イケザキさん、あなただって、
 私のことをほんとうに好きだと言ってくださるけれど、
 急ぎすぎてるんじゃないでしょうか。

 トウコとマヤマさん、アヤちゃんとクリハラさんが、
 立て続けに結婚したでしょう?
 刺激されていないと言えますか?
 海外に行ってしまうので、焦っているだけじゃ・・・。」

やや速度を緩めた車はインターチェンジの料金所を通過し、空港へと近づきつつある。黙々と運転しながらマナミの話に耳を傾けていたサトシは、

「僕が結婚に焦って、あなたを見誤っているとでも?
 そんなことはない。

 それに、結婚発情期ではダメですか。
 焦っていると言われれば否定することもできませんが、
 結婚したいと思った瞬間にプロポーズしなければ、
 時期を逸してしまうでしょう?」

と、感情を抑制した静かな低い声で返した。マナミはもう一つ大事なことがあると前置きして、

「あなたは海外に赴任して、
 お仕事に専念しようとしてらっしゃる。
 伯父様との約束も果たさなければいけない。

 今が結婚を考える時期なんでしょうか。」

と、問いかけた。

「あなたに言われなくても、
 仕事はやりますよ。
 しかし、あなたを誰にも取られたくない。」

苛立ちを見せながら、サトシは語気を強めた。運転も少し乱暴になってきた。彼の心理を察したが、マナミも負けてはいない。

「子どもが大事なおもちゃを取られまいとしているように見えるわ。
 独占欲のためにプロポーズなさったの?」

それを聞いて、一瞬、サトシの眼光がいつも以上に鋭くマナミに向けられた。何か言い返したいのに、言葉が見つからずに歯噛みしているようだったが、構わずマナミは続けた。

「アヤちゃんが以前言っていたわ。
 『兄はほんとうは仕事に没頭したいんじゃないか』って。

 私はあなたの邪魔をしたくないんです。
 プロポーズはとても驚いて、でも、とても嬉しかった。
 だけど、・・・
 イケザキさん自身の本気でやりたいことを見失わないで欲しいんです。」

サトシは言いかけた言葉を飲み込んで何も言わなくなった。いや、言えなくなったのだ。

空港はもう目と鼻の先だ。空を見上げれば、離陸したばかりの飛行機が彼方に向かおうとしている。車は空港の大きな駐車場に到着した。その間もサトシは黙っていたが、トランクからスーツケースを取り出し、脱いでいた背広を再び着ると車にもたれかかり、恨みがましいふうにマナミにぶつけた。

「ずいぶんズケズケと言ってくれましたね。
 僕が嫌いなら、はっきりそう言ってくれた方が、
 気持ちよく旅立てたのに。」

車のドアを閉めて、抜いたばかりの車のキーを持っていたマナミの手が震えた。

「せいぜいあっちで、孤独に耐えて仕事に勤しむことにしますよ。」

返事を待たされた挙げ句、結局断られたことが悔しいのか、感情を止められないでいるサトシは空に向かって皮肉を交えて言った。

「イケザキさん。」

「何です?」

拗ねたサトシが呼びかけに振り返ると、突然、彼の正面にマナミの顔が近づき、やわらかいものが彼の唇に押し当てられた。彼の体には彼女の手が力を込めて添えられている。

どのくらいそうしていたのか、そんなに長くはなかったはずだが、飛行機の轟音が響く中で、時が止まったかのようだった。二人がゆっくりと体を離したとき、目をしばたたかせてサトシはマナミを見つめた。

「これが私の今の精一杯の気持ちです。
 嫌いだなんてそんなこと・・・。
 信じてください。」

訴えかけてくる彼女の瞳が潤んでいた。サトシは、一度離れた彼女の体を引き寄せ、両腕でしっかりと抱きしめた。二人の頬が触れ合い、互いの肌のやわらかさも温もりも伝わってくる。彼は囁いた。

「必ず迎えにきます。
 いつになるかわかりませんが。
 それでもあなたは待っていてくれますか。」

「ええ、待ってます。
 すっかり中年のおばさんに成り下がって
 あなたが愛想を尽かせるかもしれませんけど。」

できるだけ笑ってサトシを見送ってやりたいと、マナミは切なくなっていく気持ちを抑えておどけて答えた。

そして、会えない間、忘れることのないよう目に残像を焼き付けておこうとでもいうように、二人は見つめ合った。

「行ってらっしゃい、サトシさん。」

初めて苗字ではなく、名を呼んだ。

「行ってきます。マナミさん。」

やがてサトシは機上の人となり、飛行機が遠くに連れ去っていくのをマナミは空を仰いでいつまでも見送った。


 人気ブログランキングへ ←クリックして頂くと励みになります♪ 

※この物語に登場する人物や団体名などは架空のものであり、実在しませんのでご了承下さい。 

ジャンル : 小説・文学
テーマ : 自作小説

[ 2012/06/29 07:40 ] 『もの憂げな三日月』 | TB(-) | CM(-)